大字名の由来(佐保庄町) No3 [氏子地区の紹介]
大字名「佐保庄」の由来は
継体紀(507~531)に皇太子勾(まがり)の大兄皇子の妃春日姫に匝布(さほ)の屯倉(みやけ)を賜うた記事があるが、どこであろうか。ここは春日の佐保殿庄が、のちに佐保庄と呼ばれることになったというが詳かでない。
さほという地名も古語で、よくはわからないが、少し小高くなった地形を指すようである。
写真をクリックすると拡大します。
(参考) 屯倉(みやけ)とは、ヤマト王権の支配制度の一つ。全国に設置した直轄地を表す語でもあり、のちの地方行政組織の先駆けとも考えられる。
佐保庄町の村社(素盞鳴神社)紹介は、こちら
本資料は、天理市ホームページの大字の由来 参考にしています。
継体紀(507~531)に皇太子勾(まがり)の大兄皇子の妃春日姫に匝布(さほ)の屯倉(みやけ)を賜うた記事があるが、どこであろうか。ここは春日の佐保殿庄が、のちに佐保庄と呼ばれることになったというが詳かでない。
さほという地名も古語で、よくはわからないが、少し小高くなった地形を指すようである。
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(参考) 屯倉(みやけ)とは、ヤマト王権の支配制度の一つ。全国に設置した直轄地を表す語でもあり、のちの地方行政組織の先駆けとも考えられる。
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本資料は、天理市ホームページの大字の由来 参考にしています。
2016-05-07 10:16
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