光を放つ霊木 [氏子地区の伝説]
天理市中山町(旧山辺郡朝和村中山)の伝説
昔、行基菩薩が中山のある草庵で一夜をあかされたことがあった。
その時、字長山<おさやま>の土中から光を放つものがある。
行って見られると一つの朽木<くちき>であった。これは霊木であるといって、みずからこの木をもって観音菩薩の像を刻まれた。
一宇(いちう)を建ててこれを安置し、中楽寺といった。
天正四年(1576)、十市落城の際、兵火にかかって滅んだ。(天理市史による)
(参考) 行基(ぎょうき/ぎょうぎ、天智天皇7年(668年) - 天平21年(749年)は、奈良時代の社会事業に尽力した僧。
昔、行基菩薩が中山のある草庵で一夜をあかされたことがあった。
その時、字長山<おさやま>の土中から光を放つものがある。
行って見られると一つの朽木<くちき>であった。これは霊木であるといって、みずからこの木をもって観音菩薩の像を刻まれた。
一宇(いちう)を建ててこれを安置し、中楽寺といった。
天正四年(1576)、十市落城の際、兵火にかかって滅んだ。(天理市史による)
(参考) 行基(ぎょうき/ぎょうぎ、天智天皇7年(668年) - 天平21年(749年)は、奈良時代の社会事業に尽力した僧。
2016-05-10 13:48
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