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「くにたまの会HP」に大和神社掲載 [神社紹介]

くにたまの会は、〝だいこくさま〟を奉斎する神社の全国組織で、御神徳の宣揚と斯道の発展、鎮座地域の活性化などを目的に種々活動を行なっておられます。

 今回、「くにたまの会HP」の公開にあたり、当大和神社のコーナーを設置(2016.5.1公開)して頂きました。
 ぜひ、一度ご覧ください。


「くにたまの会」ホームヘージはこちら

慶長時代の古文書発見 [神社紹介]

大和神社氏子地区の成願寺町で、慶弔19年の古文書発見

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 慶弔の時代は、慶長5年の関ヶ原の戦い、徳川家康による慶長8年の江戸幕府開幕、慶長19年~20年の大坂冬の陣・夏の陣を経て大坂城の落城(豊臣氏滅亡・元和偃武)などがあり、この年間で時代が大きく動くこととなった時代です。

 資料を調査された方の話によると慶弔(1590)から文政(1810)年間の資料らしいですが、詳細は今後の調査待ちです。
 今回は、成願寺町と佐保庄町から古文書が発見され、今後詳しく調査して頂きます。

 私も、横で資料のぞき見していましたが、よくわかりませんでしたが、調査に来られた先生は、すごい発見だと興奮気味に話しておられました。

「e~やん天理」に「裏方日記」紹介 [神社紹介]

「e~やん天理」presented by 天理市 - Facebook に、 大和神社のブログ「裏方日記」が紹介されました。


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">「e~やん天理」は、こちらから見てみよう

大和神社年表完成 [神社紹介]

 大和神社の由緒等については、いろいろな古文書・参考文献などに、散見できますが、断片的な資料で、これを関連付けて理解するには、困難なことが多いことから、『大和神社年表』として、取りまとめました。
大和神社の歴史を知って頂くお手伝いになれば幸いです。

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大和神社年表は、ホームページでも掲載しています。

歯定(ハジョウ)神社について [神社紹介]

1月15日 歯定神社の例祭をとり行いました。
そこで、歯定神社について紹介します。

  祭神 : 大己貴神(おおなむちのかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)
 大和神社の南東約1.1km、中山町字大塚に鎮座する御旅所坐神社の左に鎮座する小社。
 医療の神、少彦名神を祀ることから“歯の神”と言われている。また、古くは、“葉状神社”と呼ばれ、農業・特に葉物野菜の種蒔きに際して、当社に豊作を祈願したともいう説もある。

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拝殿前に、石が3個据えられている。人の前歯や犬歯、臼歯を連想させる形の石である。
古老の話によると、昔は、例祭に、県内外の歯医者さんが例祭に参列していたという。

紅しで踊り保存会記念碑建立 [神社紹介]

 奈良県神社関係者大会(H27.19.26)で、紅しで踊り保存会が表彰授与を、記念し碑を建立しました。

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 大和盆地の雨乞い踊りとして唯一残った「紅しで踊り」は、近世より連綿と続き、大和盆地の農業と水の関わりにおいても極めて重要な民族芸能である。

この「紅しで踊り」の復興・発展に大いに寄与したことを称え表彰授与されました。
なお、「紅しで踊り」は、
 天理市指定無形民俗文化財第1号 (平成9年3月31日天教告示第12号)です。

祖霊社 [神社紹介]

御祭神
 大国主命
 大和郷氏子(朝和地区)祖霊
 大和神道御霊之社信徒祖霊
 戦艦大和他戦没英霊

創建日  明治七年一月九日

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由 緒
 明治政府の官許のもと、古代より、代々に渡り、大和神社の祭祀を担ってきた大和郷(朝和地区)氏子各家の祖霊を奉斎するために創建された。
 毎年、秋の例大祭には、大和神道御霊之社信徒祖霊の分霊が合祀されて大和郷の守り神となられる。
 当時、官幣大社に列せられた神社のなかで、国家が境内に祖霊社を建立する事を許可したのは当社のみである。
 ちなみに、大和神社本殿改築の折、御祭神大国魂神が祀られていた本殿を当地に移築して祖霊社とした。
 後の昭和二十八年、戦艦大和の英霊二七三六柱、昭和四十七年には、巡洋艦矢矧並びに駆逐艦八隻の英霊九八五柱が合祀されて今日に至る。


高龗(たかおおかみ)神社 [神社紹介]

昨日、「龍の木」を紹介しました。今日は、その「高龗神社」を紹介します。

 大和神社の摂社に高龗神社がある。

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 祈雨神祭について全国総本社。

 祭神は雨師大神即ち水神様で、崇神天皇のとき渟名城入姫命をして穂積長柄岬(現新泉星山)に創祀される。
 古来6月1日、10年に一度の大祭には、和歌山・吉野・宇陀その他近在邑々から千人余りも参拝者の列が続いたとある。
 先頭に丹生川上神社、中・下社が金御幣を持ち後尾は末社の狭井神社が勤めた。
 茅原上つ道を経て箸墓裾で休憩。大倭柳本邑に入り長岡岬、大市坐皇女渟名城入姫斎持御前の井戸で祓い清める。神職は輿と共に神橋を渡り大和神社に入る。一般の人達は宿から一番鶏が鳴くと倭市磯池に体を清め笠縫邑から神社へ向かう。
 社は古代伊勢神宮と同じ建築様式で江戸時代の建立になる。

知られていないパワースポット「龍の木」 [神社紹介]

(おおかみ)の木(龍(りゅう)の木)

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 大和神社の摂社に高龗(たかおおかみ)神社がある。高龗神社の龗(おおかみ)は龍の古語であり、龍は水や雨を司る神として信仰されています。
 この「龍の木」(柿の木)は、高龗神社の龗(龍)の化身の木です。

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 神社参拝のとき、「龍の木」のもとへ足を運んで観ては、しかし、古木ですので、触ったりはしないで下さい。この木の前で、龍と感じたら、すごいパーワーが授かるかも!!

神社の前には狛犬がありますが、どんな意味があるのですか。 [神社紹介]

狛犬は神社の守護、魔除けのために、参道に置かれた一対の獅子形の像です。

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S1270014.JPGS1270013.JPG写真をクリックすると拡大します。
写真は、大和神社拝殿前の狛犬です。








獅子は古来、百獣の王とされ、神域の邪気を払うとされています。インドでは寺院の前、中国でも皇帝や貴族などの陵墓の前にその像を置く風習がありました。
この風習が朝鮮の高麗(こま)を経て日本に伝えられました。日本の犬と違うことから高麗の犬だろうと考えて、高麗犬と名づけたのでしょう。のちに狛犬の字をあてるようになりました。一般に神社に置かれるようになったのは平安時代の終わりごろのようです。
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